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書評2009/03/08 西日本新聞朝刊より

『あなたと共に逝きましょう』  村田 喜代子著  (朝日新聞出版・1680円)

 

病と苦闘した夫婦の愛情物語 今川 英子 北九州市立文学館副館長  

 

人間はひとりでは生きてゆけない社会的動物と言われる一方で、生老病死という四苦はひとりで担わなければならない。殊に〈病〉〈死〉においては、長年連れ添った夫婦であっても例外ではなく、1個の生命体を共有することは不可能であり、それだけに連れ合いの心の反作用ははかりしれない。

村田喜代子文学の特性として、しばしば「モノへの偏愛」が指摘されるが、本書では、作者の視線は、生命そのものである〈心臓〉に真っ向から向かった。

どこにでもいるような平穏に暮らしてきた60代前半の夫婦の片方に、突然病魔が襲いかかる。

鹿丸義雄は北九州周辺で社員を十数人抱える設計事務所を経営。語り手の妻香澄は服飾大学で教鞭(きょうべん)をとっている。唐突に夫が提案した東北の温泉巡りの旅に、半ば強引に付き合わされた〈私〉は、いい加減口もきかず、その上奇妙な夢を見る。それが予兆のように数カ月後、急に夫の声が掠(かす)れて出なくなる。検査の結果、大動脈瘤(りゅう)が咽喉(いんこう)を圧迫、いつ破裂してもおかしくないと告げられ、一挙に死が身近になる。かつては夫が先に死んだらと、楽しい夢を語るように女友達と語っていた〈私〉だが、今や夫のいない将来など考えられない。見慣れた日常は一変し、夫が「生活の止め金」であったことに気づかされる。

最新の外科手術情報に納得しながらも、民間療法や食養療法へと心はさまよう。賽(さい)の河原を思わせる地熱地帯での岩盤浴療法。どろどろに煮詰める食養の鯉(こい)こく。一噛(か)み100回を実行する夫に、〈私〉は全(すべ)てを受け入れ必死に付き従う。いつ破裂するかという緊迫感のなかで、深刻を突き抜け、どこか滑稽(こっけい)な風が漂うのは、日常的リアリズムに支えられた軽妙な語り口とリズムによるものであろう。

さらに作者の想像力は、対象を凝視する視力を過敏に働かせ、浮力に転換することで、日常世界を異空間へとワープさせる。心臓は個体として体外に幻出し、夜な夜な見る夢には男が現れ、地獄の女郎屋で〈私〉を誘う。

切り取った動脈瘤を見せられ、〈私〉は、心臓という夫の肉体の秘部に、人の手が入ったという事実に打ちのめされる。〈病〉〈死〉という自然界の摂理に対して、現代医学はどこまで許されるのか?

本書は、熟年夫婦が共に手を携えて、病魔と苦闘した〈愛情物語〉という側面も指摘できよう。

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