「水の舳先」の解説より

 

水の行方

村田喜代子

 

昨年、私は物書き仲間の友人を癌で亡くした。彼とは病中ずっとメールや電話でやり取りをしたが、最後の更新は九月の晴れた午後にかかってきた短い電話だった。

「ねえ、キーコさん。おれ、モルヒネのせいでこのごろ幻覚を見るんだ。こないだは綺麗な青い鳥を買って、それが毎日ピーチク鳴いてた。でも今朝はその鳥がいないんだ。うちの奥さんに聞いたら、鳥なんて初めから買ってないって。現実と幻覚の見極めがつかなくて、まぎらわしくて仕方ないよ」

肺に水がたまって息苦しいのか高く荒い声だった。死は二日後に襲った。だから忘れられない声である。その電話を限りに彼との交信はプツリと切れた。突然、電気のヒューズが飛んだような感じである。それっきり。

死ねば連絡が途絶えるのは当然だが、取り残された私としてはやはり釈然としない。物書きというのは、自分の癌が末期になってもどこか他人事みたいに抜けていて、

「ねえ、人間が死ぬ時は、臨終の間際に霊魂が体を抜け出して、天井からその様子を眺めているなんていうけど、あれホントかなあ」

なんて言ってた彼が、その幽体離脱の真偽を実体験したわけである。

こないだまでこっち側から向こう側を眺めて、ああだこうだと言い合っていた友達が、ふいっと向こうへ渡ってしまって、それきり連絡なしというのは、それがこの世の法則だと知っていても、心の片隅で腑に落ちない。彼らはどこへ行ったのだろう。

 

死者を想うとき、この謎は永遠の課題である。その答えはやがて自分の番が来たときにわかるが、しかし果たしてそうなった時に、わかるはずの自分の意識が存続しているかどうか定かではない。じつに人類の歴史のぶんだけ膨大な数の「死」があり、この世は「死」だらけなのに、死の真相がわからない。

こういうとき私たちは多少なりと誰かに聞いてみるとすれば、あの世とこの世の橋渡しをしてくれるお坊さんだろう。多少、というのはお坊さんも生きてこっち側にいるので、本当はどこまでわかっているかは定かでない。ただ彼らは自分個人の憶測で言うのでなく、仏教の教えに拠って答えるのだから信憑性は高いだろう。

しかしこの世にはいくつもの宗教がある。仏教とキリスト教とイスラム教では、向こう側の様子もずいぶん異なってくる。こうなるとめいめいが選択した宗教によって向こう側のことを尋ねるしかないのだが、仏教を奉じるわが玄侑宗久さんの答えときたらふるっているのである。芥川賞受賞作『中陰の花』には、主人公の則道に妻の圭子が死について尋ねる場面がある。

 

「人は死んだらどうなんの?」

「知らん。死んだことない」

 

何とも坊さんとは思えないような答えである。当然、圭子は怒ってなおも聞く。

 

「あんた喧嘩うってはんのか?お通夜とかでなんか言わはるやろ。仏教ではどない言うてんのん。あたしもすこしは仏教知りたいねんけど」

 

そこで則道が喩えに用意するのは、なんと物理の「質量不滅の法則」なのである。水の入ったコップがあるとする。その水が蒸発するとき、しばらく水蒸気となってあたりに漂う。それが中陰の状態だと則道は言うのである。この世とあの世の中間だ。それから水蒸気はどんどん広がって、窓から外へ出てさらに広がる。この状態をインドではシャーニャと呼び、中国で「空」という言葉になった。

 

「それで広がってどうなんの?」

「あまねくゆきわたる。コップの中の水は、コップからはなくなったけど、この地球上からなくなってはいないわけだ」

「じゃあ、草葉の陰にいるっていうのはなんなん?」

「草葉の影にまとまっているわけじゃあなくて、あまねく広がってるわけだから草葉の陰にもいますよってこと」

 

このくだりの話は霊魂が草の葉裏に宿る蛍みたいで笑ってしまう。玄侑さんの小説は、明るい仏教という感じがするのである。陰々滅々としていない。物理の法則で持って姓名を明かそうとする態度は、不思議がなくて澄んで明るいのだ。それからどうなるのと催促する圭子に、則道はこんなふうに続ける。

 

こっぱ微塵て言うだろ。あれは微塵という大きさになって広がるっていうことなんだけど、それがさらに七つに分かれて極微と呼ばれるものになる」

「ゴクミ?」

「そう。仏教で言う物質の最小単位。学者さんによれば、素粒子とほぼ同じ大きさなんだって」

「へえ、面白いんやなあ。・・・・・・で、それからどうなんの?」

 

それより小さい単位はもう物質ではなく、エネルギーとしか呼びようがない。「空」は一種のエネルギーというわけだ。

 

「そしたら、そのエネルギーまで戻っちゃうってことが、成仏したってことになるわけやね」

「そういうことやね」

 

読んでいてアッとなる。明るい仏教の喩えに納得させられるのである。

しかし則道にもわからないことがある。エネルギーになって「成仏」した生命は、再使用の可能な状態で、つまりまた生まれて「輪廻」することが出来そうなものだが、則道は輪廻のことはよくわからないと思う。その辺り、本人のわかることとわからないことが率直に述べられて、これも明るい仏教の特徴なのである。

 

『水の舳先』は『中陰の花』の前に書かれたものだが、その明るい仏教がキリスト教の救いについて考える。何で仏教の坊さんがキリスト教の罪や救いについて考えねばならないのかと思うけれど、そういうところがやはり、わかることとわからないことについて拘る玄侑さんの世界に違いない。

『中陰の花』がわかる仏教なら、こちらはわからない仏教の、手探りの薄明の世界である。舞台は難病の人間たちが一縷の望みを抱いて集まってくる霊泉の宿だ。そこに高さ八メートルの巨大な観音像が出来上がる。主人公の玄山はその怪しげな仏像に開眼供養するため呼ばれてくる。しして霊泉を信じる病人にとってはこの観音も許せると思うのである。.寛容というか、イージーというか、玄山はすこぶるボーダーラインの緩い坊さんである。

そうして見渡したところ、霊泉の[ことほぎ荘]には巨大観音だけでなく、てんでな各自の信仰が雑居している。久美子という癌患者は敬虔なクリスチャンだし、玄米菜食を信奉する病人もいれば、健康食品、キノコ・霊芝、水、運動療法を実践する患者など、めいめいが各自に持ち寄ったこれらも切実な信仰なのだ。『水の舳先』はその男女の集まり、信仰の一大シンフォニーで、主人公の玄山はそのオーケストラの指揮者のようである。

玄山は指揮棒を振って、観音も、久美子のキリスト教も、自分の仏教も、玄米食糧法も、何でもすくい寄せ、混沌のうちに溶かし合わせる。この演奏会の舞台には水が溢れ出して玄山の足を浸し、曲と共にあるときはホームレスのサトウの亡骸を慈悲の雫のように濡らし、あるとき久美子の体の癌を流すかのように潤し、また水と水とは手をつなぎ、サトウと久美子をするすると溶かし合い、最後には指揮者の玄山もまた水の手に招き寄せられて、久美子の体へとつながれてゆく。

水といえば古代ギリシャの哲学者タレスも万物のおおもとと賛嘆している。水を吸って伸びる植物は水が姿を変えたもので、植物のみならず人も、この世のすべてのものは水から生まれたと言っている。陸地の尽きる所にはかならず水があるのだから、大地も水から生まれて、水に支えられていると言った。

たしかに水と水はあらゆる所で手をつなぎ、溶け合って生命の営みを支えている。人は用水から生まれ出て、死ねば水に替える。墓から親の骨を出した友人が、[水の上に頭蓋骨が乗っていた]と言う水もそれなのだろうか。坊さんの身である玄山と久美子の体を恍惚裡に浮かばせた水は、どんなものであったのだろう。

恍惚といえばこの小説でひときわ生彩を放ったのが、読経のシーンである。昔、倉田百三の『出家とその弟子』亀井勝一郎の『愛の無常について』などの本が流行ったが、あれは仏教の精神については書かれていたが、読経という実際行為については触れられなかったように記憶する。

読経をこんなにわくわくするものとして、夢でもなく、幻でもなく、瞑想でもなく、「声仏事を成す」というが、経を唱える声そのものが思念自在の不可思議空間を作り上げる文章を堪能した。これは実際に経を読む人でなければ得られない実感にちがいない。

 

さて人は死んだらどこへ行くか。この問いに答える玄侑宗久さんの三部作として、私は『水の舳先』の次に『中陰の花』、その次には『アミターバ―無量光明』を挙げたい。タイトルのように、ここに描かれた死には燦々と無量の光が照らしている。くまなく明るく晴れ晴れと死者は肉体を離れていくのである。

(平成十六年十二月、作家)

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