201202『波』より

 

さあ、永遠の話をしよう

     ━左能典代(さのうふみよ)『青にまみえる』

                    村田喜代子

 

いつだったか、中国は武威山の岩茶を飲みながら、左能さんと夜更けの電話でとりとめのない話をしたことがある。というのも岩茶はウーロン茶と呼ばれる青茶の一種だが、他の青茶と違って、飲んでいるとだんだんに酔ってくるのである。面白いことにがぶがぶと飲んでいると酔わない。ちびりちびりと舌の味蕾に滴らせていると、酒酔いに似た陶酔感にからめとられる。それに身をまかせながら、どちらからともなく、旅に出たい、という話になった。

左能さんは東京で日中文化交流サロン岩茶房を主宰して独り行動のとれる時間はめったにない。叶わぬ夢は彼方の星のように光る。そのときふと私は以前に行った中国の鳴沙山の情景を思い出した。日が落ちてながい急斜面の砂山の上に月が出る。その黄色い月は<永遠>のマークみたいではないか。岩茶と<永遠>はセットになって、酔った脳みそに浮かんできた。

すると左能さんが、昔、その敦煌の鳴沙山の鉄片でお茶を立てて飲んだという話を始めたのだった。旅で知り合った中国人が携行してきたポットの湯で、急須に岩茶を点て供してくれた。茶杯の中の液体の色も定かに見えない夜のことだ。「お茶ってなんだろう」と左能さんは言った。いや、そのウエに「中国人にとって」という言葉をくっつけていたと思う。なぜなら日本人にとってのお茶はもう、砂山を滑落しつつ砂まみれになって、持って行くほどの飲み物ではない。

私はそのときの、急峻な砂山の絶頂にかかる月と、茶杯の底に湛えられた琥珀の液体の幻影を、その後もときどき思い出した。自分もそこに居たような錯覚さえ催した。

それからまたしばらく経ったある夜。やっぱり岩茶をちびりちびり飲んでいると、コロッと酔っ払って左能さんに電話をかけた。ふたたびどちらからとも鳴く、どこかへ行きたいという話しの続きになったとき、ゴビ砂漠が出た。少数民族の砂塚のような墓と蜃気楼を思い出す。あそこにも間違いなく<永遠>がある、なんてまたお茶の酔いに溜息をつきつつ私が言うと、左能さんはやはり以前そのゴビ砂漠であった少数民族の青年のことを話し出した。

旅のメンバーと訳あって別れ、一人で暮れ方の砂漠を彷徨うように歩いた。野宿を覚悟しかけたとき、ハミ瓜を積んだ荷車を牽く青年と行き会うのだ。一杯の水を所望すると、青年は足元も見えなくなった暗い地面にしゃがんで、わずかな枯れ草で火を熾し、お茶を点ててくれた。美味しくはない。どろりとしたまるで毒薬のような液体。青年は自分のぶんの最後の一杯を供してくれた。

本当にお茶って何だろうね、とその夜は行き着く先はその言葉になった。

 

左能さんは今まで何冊か本を出したがおもに中国茶に関するもので、小説でお茶を題材にしたのはこれが初めてだ。大丈夫だろうかとよそごとながら思った。<永遠>なんてものは書けない。それと同じで<お茶>なんてものも書けるものではないと・・・・・・。

いったい中国人にとってお茶とはなんだろう。今はその中国人もウーロン茶といえば、日本産のサントリーのウーロン茶によって初めて知ったという笑えない話もある。中国人の大半は緑茶で、青茶や黒茶(プーアール茶等)を飲む人々は数パーセントに過ぎないという。その点ではウーロン茶や岩茶はお茶の中の狭き門で、すでに国籍は取り払われたも同然だ。あるのは水とは違う人間の身体を潤す液体ということ。そうしてそれは日本の茶の湯のような精神性と別の、究極の味と効能を求めるものだ。

この小説の最初の方の頁を開くと、いつか左能さんが話したゴビ砂漠の夕闇がたちこめている。オアシスから何キロも離れた、まったく水の匂いのない乾ききった大地。ハミ瓜を積んだ荷車の轍の音が近づいてくる。ああ、こうやって<永遠>が登場するのだ、と私は思った。一九八〇年代初め、まだ地球の自然がずっと長く保たれると、大方の人々が信じていた懐かしい時代の夏のことである。                   (むらた・きよこ 作家)

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