20160224毎日新聞 文芸時評より

政治の言葉の文学化 「アメリカ」とは何か  

田中和生(文芸評論家)

 

文学の言葉でわかりやすい政治批判が行われる一方で、政治の言葉の文学化が進んでいる。たとえば今月ニュージーランドで環太平洋パートナーシップ協定(TPP)署名式が行われたが、日本はアメリカの強い要望もあってそこに参加したはずである。しかし現在アメリカで始まっている大統領選予備選で、有力候補の多くがTPPを批判している。これはつまり、候補者を選ぶアメリカ国民の多くが、TPP反対ということだ。では日本にTPP参加を望んだ「アメリカ」とは、いったいなにか。

それに呼応するように、日本の政権政党が語る言葉も非常に難解になっているが、そんななか、明快な政治の言葉とはどんなものかを示す本が出た。山本太郎『みんなが聞きたい安部総理への質問』(集英社インターナショナル)である。政治的な主張に対する賛否は別として注目したいのは、そこで山本が徹底して、選挙権をもつ有権者ひとりひとりが望んでいることを、いかに政治の現場まで結びつけるかということを意識し、だれにでもわかるように語ろうとしていることである。

すべての政治家がそう語っていれば問題ないが、そうではないのでこんな本が刊行される。そしてそこに採録された、安全保障関連法案が可決された昨年七月から九月までの参議院における山本の発言が浮彫にするのは、敗戦後の日本が「アメリカ」にあたえられた「民主主義」や「平和憲法」という理念が「アメリカ」の都合で骨抜きにされつつあるという事態だ。その発言は、実体不明な「アメリカ」に左右される戦後日本的な政治の言葉のなかで、合衆国の詩人ホイットマンの言葉のように輝く。

 

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文学の言葉は、そうした難解さと明確さの両方を包み込みたいが、震災が起きる二〇一一年の日本を舞台に、がんの治療を受ける女性を描いた村田喜代子の長編小説『焼野まで』(朝日新聞出版)は、おそらくそのような言葉による作品だ。語り手の「わたし」は、北九州に住んで私立大学の図書館に定年まで務めたが、子宮体がんが見つかって特別な放射線治療を受けるため、鹿児島と思しき九州南部まで来ている。夫はあまり役に立たず、看護師をしている娘は強く反対したが、自分でその特殊な治療を選んだのである。

桜島を思わせる「焼島」という活火山がある街で、ウィークリーマンションから治療センターに通う「わたし」は、局所的に毎日二グレイ(=シーベルト)という量のX線を浴びる。ちょうど東日本大震災が起きた時期で、テレビなどで原発事故による放射線量が報じられているが、四グレイの放射線を一度に全身で受けた人間の半数は死に、年間生産線量二十ミリシーベルト以上の場合は避難区域だ。つまり「わたし」は、事故現場で受ければ致死量となるような放射線を、生きるために患部に当てている。

センターの医者は、(わたし)の患部である子宮は放射線に強いが、それはかつて放射線を浴びながら生命を育んだ、海を内包した器官だからだと語る。治療が一通り終わるまでの、単調な日常を語っていると見える作品だが、放射線を経由して震災後の日本と火山のある街が重なり、その最先端の医療と鍼灸師が同居する場所で、治療に耐えている「わたし」は、いつの間にか宇宙的なイメージのなかで生きている。明快な言葉が難解さではなく、何度も読みたくなる深遠さを備えた、滋味に満ちた作品だ。

 

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おなじくがんの治療をする女性について、結婚十五年目となる夫の視点から語るのは、山崎ナオコーラの長編『美しい距離』(『文学界』)だ。一人称を記すことを避ける語り手は、その主体放棄を実践するように、経過が良くない妻のため、会社の介護休業制度を利用して看病する。そうしてサンドイッチ屋をしていた妻の社会的な立場に配慮し、自立した人間同士として「美しい距離」を保ちながら、妻を看取るまでの時間を過ごす。あまり描かれたことのない関係で新鮮だが、夫が犠牲にしている仕事について、妻の仕事とおなじくらい具体的に知りたかった。

新人の作品では、米田夕歌里の中編『千々の雫』(『すばる』」が印象に残った。作者が一人称に近い三人称で寄りそうのは、小学五年生の女の子「千砂」である。危険だという理由で、なかったことになされている「古い街]から引っ越してきた「千砂」は、その「古い街]について触れようとするので、教室で無視されている。そこに「茉優」という、学校ではなにも喋らない転校生が入ってきて、放課後だけ言葉を交わす友人となることで、「千砂」の記憶をはじめ「古い街]をめぐる様々なものの存在が揺らぎ出す。震災後の日本で日常的に引き裂かれた分断線を連想させながら、語り手が読者をうまく裏切るサイコホラー調の作品になっている。

津島佑子が二月一八日に亡くなった。まだ保守的な家族像が支配する、一九七〇年代から書きはじめ、母親だけで子育てする女性を社会の被害者ではなく、主体的な生き方をする存在として描いた先駆的な作家だった。その後の「母性」を言葉で拡張していくような作品群も、世界文学的な達成だった。 

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