20150407群像2015年5月号より

鉄都に生きる市井の人々  富岡幸一郎
    
「八幡炎炎記」村田喜代子

 

舞台は北九州の八幡市。昭和十八年に広島で紳士服店「テーラー小糸」に職人見習いとして働いていた瀬田克美は、親方の小糸松太郎の女房ミツ江と深い仲になり、彼女の故郷の八幡に駆け落ちする。二年後、昭和二十年八月六日午前八時十五分、広島は原子爆弾の炸裂によって、一瞬にしてこの地上から消え去った。爆心地近くで店を営んでいた小糸親方も犠牲となる。長年にわたり弟子に仕事を教えた親方は非業の最期を遂げ、恩人を欺いて店を飛び出した姦夫姦婦は生きながらえる。原爆投下から数日を経て、北九州にも伝わってきたその惨状を耳にした克美は、「はじめてこの世界というもの途方もない大きさと底知れぬ力に頭が白くなった」。北九州も八月九日の二回目の原爆の投下目標になっていたが、天候などの偶発的要因で長崎が犠牲になり、克美とミツ江は戦後を迎えることになる。

戦前から製鉄業で栄えていた八幡の町は、空襲による傷跡を残しながらも、敗戦後の日本の復興の推進力の基地となった。物語は、天を焦がす製鉄の溶鉱炉の炎のように破壊のなかから立ち上がり、生命の炎を燃やす市井の人々の姿を描いている。ミツ江は十三人兄弟の十一番目。サトという二番目、トミ江という八番目の姉の近くに住み、テーラーの店を開いた克美と共に生活を始める。手に手を取って駆け落ちしたはずの克美は、仕事熱心ながら浮気が絶えず、それに気づいたミツ江は、下宿業兼金貸しをしているトミ江の夫の家に始終立ち寄っては憂さを晴らす。十六歳のときから世話になった親方の女房を盗った克美は、女への異様な屈折した執着を秘めており、紳士服を注文しにくる高橋という会社経営の妾の澄子と関係を持ち、さらに鶴崎という社長の妻とも懇ろになる。

克美は自らの抑えがたい性の欲望を、八幡の林立する製鉄所の煙突から湧き出る煙と重ねて見る。

≪帰りの夜道を自転車で戻ると、八幡の街は工場のある洞海湾に向けてすり鉢状に土地が下がっていくので、高い高炉や製鋼工場の炎の照り返しが人間の欲情のように映るのだった。ペダルを踏みながら彼は坂の下のさんざめく町の灯を眺める。それは大きな人間界の欲情の火の池のようだった。》

克美とミツ江を正式に結婚させたのは、サトの夫の貴田菊二であるが、菊二は長兄夫婦の遺児、百合子を養女とし、百合子が建築業の夫と離縁した直後に産んだ娘を育てる決心をする。百合子の生んだ娘ヒナ子は、戸籍上はサトの子供(母親の百合子は、したがって戸籍上はヒナ子の姉になる)とするが、そのことはヒナ子には知らせている。八幡の町には、その活気を頼って西日本一帯から人々が続々と集まり、子供の多い家では養子や養女にやったり、どこの町内にも貰い子や預かり子がたくさんいた。ヒナ子は終戦の年に生まれ、そうした土地柄のなか焼跡に逞しく育っていく。作品の設定としては、このヒナ子が作家自身であり、その意味ではこれは自伝的小説である。

このように家族、親戚の人間関係は複雑であるが、それは作品を読み進める上でさしたることではない。というのも、ヒナ子をとりまく老若男女が実に生き生きと描き出され、なによりもその生命の弾けるような輝きが読者の胸を打たずにはおかないからである。

小学生のヒナ子が、近所の同級生の男の子と水晶を採りに山に向かって歩いていくと、戦時中にB29の爆撃を避けるためにKペンキで塗りたくられた中学校の見苦しく剥げかかった姿が見える。その中学校は山手にあり爆撃を免れたが、坂の下にあった小学校一帯は焼け野原となり、学校の廊下には黒焦げの屍体がマグロのように並べられた。それはわずか六年前であったが、いまでは一帯は商店街で賑わい、ヒナ子にとっては「何もなかったと同じなのだった」。また、山道を進むと小さな滝場があり、山の洗濯場と祖母たちが呼ぶところで、夏場は年寄や主婦たちが子供を連れて洗濯に興じている。

《ヒナ子たちもツルンと服を脱いで、キャラコという白い綿のズロースだけになって滝壺に飛び込み、石を積んで水を堰き止めたり、笹舟を流したりして遊んだ。女子たちはまだ胸も尻もぺったんこで、みんなキノコの軸みたいな裸のまま岩場をちょろちょろした。》

熊笹の坂道を上り、振り返るとそこには八幡製鉄所の黒い工場群が手に取るように見える。煙突からは白、黒、茶、オレンジの煙がたなびき、溶鉱炉の高い影が霞み、製鉄所はおばけのようにどこまでも追いかけてついてくる。男の子は、父ちゃんは「あすこで火ば燃やしとう」と叫び、ヒナ子は「熱かろうたい!」と思う。八幡の子供たちは大人の話でそこが焦熱地獄というところだと知っていた。子供たちもまた、その紅蓮の炎に巻かれ、生きることの熱気に促されて走り回る。

夏休みの盆踊りは八幡の町にとって大切な行事であり、ヒナ子たち子供は化粧してもらい、浴衣を着て花笠をかぶせられ、わらじを履いて踊りに出る。また、十一月には八幡製鉄所の起業祭が催され、東洋一の製鉄所見物に多くの人々が足を運ぶ。昭和二十四年の五月には、天皇が九州巡幸の途寺に八幡製鉄所を訪問した。巡りゆく四季と朝鮮戦争の特需景気に活気あふれる町が、作家の流れるような筆致によって活写される。そこに伝わってくるのは、隣との垣根をこえてまじわる人々の息遣いであり、戦争の災厄がもたらした不安と死の恐怖を残しながら、それゆえに自由と飛翔を感じさせずにはおかない。

そして、この生きとし生ける人々の恍惚と不安を大きく包み込むのは、作中で描かれる不動明王の眼差しであり、地球という巨大な宇宙的な溶鉱炉である。「製鐡所の起業祭が終わると、八幡の町は毎日のように雪が降り続く。昭和二十年代は寒かった。地球がまだしんしんと冷えていた頃だ」。戦時下から昭和二十七年四月のもく星号墜落事故までの時代を八幡という炎の町で描いているが、作家はそこに燃え上がる命の源としての地球という悠久の時を映し出しているのである。作品は、ヒナ子の弟が生まれる場面で新たな展開を予感させる。さらなる期待を持って続編を待ちたい。

(平凡社刊・税別定価一六〇〇円)

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