20150405月刊「潮」20155月号より

今月の書評  「八幡炎炎記」村田喜代子/平凡社/一七二八円

清水良典

北九州の八幡は製鉄の王国だ。その溶鉱炉の灼熱が近代日本を支えてきた。終戦の年に生まれた貴田ヒナ子と、周囲の人間を活き活きと描く本書もまた、製鉄所の存在とは切っても切れない。

八幡に暮らす三姉妹とその亭主たち、ならびに子どもたちが本書の登場人物である。亭主たちは絵描き道楽、儲からない金貸し、女たらしと、それぞれろくでもない淋しい男ばかり。さらに三組の夫婦は、いずれも訳ありの養子を育てている。ヒナ子もその一人で、戸籍では祖母の子になっていて、実母は別の所帯を持っている。他に、借金のカタに連れて帰られたタマエ、亭主の弟夫婦から養女に貰われた緑がいる。

この一族の群像劇を、本書は魅力的なエピソードと達意の描写で描いていく。著者と同じ生年のヒナ子が記述の中心ではあるが、彼女の視線に固定されない。とりわけ女たらしの叔父、瀬高克美が副主人公というべき活躍をする。洋服の仕立て屋である彼は、もともと親方の女房と原爆投下前の広島から駆け落ちしてきた身でありながら、仕事相手の妻に次々と心を奪われる。女物の仕立てを頼まれて採寸するときに、肌に指を触れるだけで相手もその気なってしまうのだ。自分の罪深さに怯えながら、欲情を抑えられないこの男が、小説の人物として抜群に面白い。

もちろん小学生のヒナ子の、活発な少女らしい日常も、心の踊る出来事が満載だ。山で水晶を掘り当てて興奮し、お盆に帰宅すると聞いた死者の霊に怯え、タマエが買ってもらった学習机に嫉妬し、実母のお産にハラハラするヒナ子の目と心が、読者にも乗り移ってくる。

まだ物がなく貧しかった戦後の混乱期だが、休みなく工場から生みだされる真っ赤な鉄のように、良くも悪くも人はエネルギッシュだった。人間が一人一人、自分の顔を持っていた。本書の末尾には「第一部了」と書かれている。その後のヒナ子の成長とともに、八幡から見る戦後史の続編が今から持ち望まれる。

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