20150405日本経済新聞より

SUNDAY NIKKEI

八幡炎炎記  村田喜代子著

愚かしく淋しい人間たちの魅力

 

ベテラン作家の著者にして、本書はいささか毛色の違う作品である。はっきり断られているわけではないが、製鉄所の町、北九州の八幡に育った著者自身を含む一族の物語のようだ。

敗戦の少し前から、三姉妹が八幡に住むことになった。それぞれ亭主がいるので姓が違う。絵描きになる夢が捨てられない貴田菊二と所帯を持ったサト。下宿屋を営む江藤辰蔵と暮らすトミ江。そして広島でテーラーの親方の女房になったのに、弟子の瀬田克美と駆け落ちしてきたミツ江。この三夫婦はそれぞれに子供をよそから引き取ることになる。サトには、結婚してすぐに離婚してしまった娘がいるのだが、あとから妊娠が発覚した。再婚させるためにしかたなくサトは自分の子供として役所に届けた。それが著者自身と思しい、一九四五年生まれのヒナ子である。

当然ヒナ子の目から描かれる場面が多いのだが、語りは自在に大人たちへも移っていく。その三家族の人物が、じつに生き生きと目に浮かぶ。とくに男たちの駄目さ加減を語るときに、描写がいちだんと冴える気がする。下宿屋の辰蔵は金貸しも兼業しているが、踏み倒されてばかりで、仏像をカタに持ち帰ったり、遂には幼い娘を連れて帰る。これがタマエである。

とりわけ存在感を発揮するのは、女癖の悪い克美である。客の女房や愛人に手を出すのだからタチが悪い。採寸の際に指を触れただけで相手が落ちる。そんな克美も、原爆で死んだ親方への罪悪感に怯え、弟夫婦から引き取って養子にした緑には親バカぶりを発揮するのだ。

みんな少しずつ愚かしく淋しく、だが大いに人間臭くて魅力的だ。八幡の心臓部の溶鉱炉のエネルギーが、登場人物にも飛び散っているようだ。

そんな中で小学生になったヒナ子の日常は、キラキラした感受性に満ちている。山で拾った水晶や化石にわくわくし、物知りのお兄さんから地球の底にはドロドロに溶けた鉄があると聞いて驚く。学習机を買ってもらったタマエが妬ましくて、つい心無い言葉を投げてしまう。

大人と子供の心を対等のリアルさで描き分けながら、場面のつなぎでドラマが仕掛けられている。たとえば他人の女に手を出した報いに、凄惨な制裁を克美が受ける場面の直後に、ヒナ子の実母のお産の場面が続く。絶妙な手練れの語りである。

「第一部了」となっているからには、続編があるはずだ。ヒナ子の成長がどこまで描かれるのか、あの人この人はどうなるのかと、期待がうずく。

《評》文芸評論家 清水 良典

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