20140713読売新聞より

 

屋根屋  村田喜代子著  講談社  1600

二人の自在な夢行き    評・石田 千(作家・エッセイスト)

 

長梅雨、寝床の読書をこころ待ちに、一日を終える。村田喜代子さんの長編小説は、人魚のような深い息で、夢のはてを見せてくださる。

みのりは、北九州で専業主婦をしている。築十八年に自宅の屋根が雨漏りして、屋根屋の永瀬が修理にきた。男は、高校生の息子より、ずっと大きい。はげ頭に、タオルを巻いている。

昼の弁当の時間、通り雨を待つあいだ。永瀬は九州ことばで、ぽつぽつと語る。妻を亡くした、屋根のうえの孤独、神経を病み、医者にいわれて夢日記をつけるうちに、夢の旅が自在になった。男は、古今東西の寺院の屋根に、とても詳しい。声を聞く女は、方言を使わない。

カタリ、カタリ。頭上から、瓦を踏む懐かしい音がする。そのうちふと風が誘い、主婦ははじめて、自宅の屋根にあがる。甍の波は、賽の河原を思わせた。その晩みのりは、異国の屋根の夢を見る。永瀬との夢行きが、はじまる。

同じ夢を旅する二人は、地を蹴って飛ぶ、姿を消す、鳥になる。お寺の屋根に腰かけ、てっぺんにかかる月を見あげ、ほうじ茶を飲む。足もとの古瓦に顔を寄せると、昔の人の素朴な文字が刻まれている。鬼瓦の目玉が動く。

カタリ、カタリ、不思議と本当が、まじわる。

北九州から、博多、奈良、京都へ。みのりは絵本の姫君のように、無邪気に勇敢に、屋根を味わう。夢の行き来が上達すると、フランスの大聖堂にも臆さずついていった。そんな不敵な人妻と秘密の旅をしていたら、やもめ屋根屋はひとたまりもない。ノートルダムから飛び降りる思いで、くちに出さずにいられなかった。……私と一緒に、ここに残りませんか。

夢は、こころをうつす。たゆたう水の奥底は、やわらかく静かで、なにもない。ずっといたい、おそろしい。迷ううち苦しくなって、必死に浮上する。けれどあのとき、うつつを放っていたら、待っていたのは死だったか、永遠だったか。

いつかの、あの夢。目をつむり、人魚を待つ。

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