群像20137月号より

書評

遊女たちのストライキ          「ゆうじょこう」村田喜代子

山崎まどか

  

 

遊郭の女たちを描いた小説は数多いが、村田喜代子の『ゆうじょこう』はなんといっても、時代設定が面白い。

薩南諸島の北部に位置する硫黄島から熊本の廓に十五歳の少女青井イチが売られてきたのは、明治三十六年である。イチは小鹿という名前を与えられ、「女紅場」とよばれる学校に通う。彼女がやってくる二年前に創立されたというその学校は、廓の女たちに教養を与える場所として楼主組合が出資して建てられたという。娼妓たちはそこで、修身や読書、習字などを習うのだ。

イチが売られた店は熊本の遊郭でも最高ランクの店であり、娼妓も、贔屓の客をつなぎ止めるためにそれなりの手紙を書かなくてはならない。田舎出の娘たちに客相手をするために必要な教養を身につけさせるのが「女紅場」の役目だが、このような学校ができたのには訳がある。世間で娼妓の人権を見直す動きが出てきたのだ。実は明治三十三年には、娼妓は自分の意志で廃業できることが認められていた。楼主たちは娼妓を廓につなぎ止めておくために、様々な手段を用いた。女たちに最低限の教養を約束する「女紅場」もそのひとつだったのである。しかし、「女紅場」で初めて字を習い、文章で自分の考えをまとめることを覚えていくイチも、イチの店の稼ぎ頭であり、彼女の教育係でもある花魁の東雲も、他の遊女たちも、自分たちを巡る時代の変化を知らないままでいる。

ヒロインのイチは、世間のことは知らないが賢い娘である。漁をしている父と海女の母に育てられた海の子で、きつい訛りがなかなか取れず洗練とは無縁だが、「女紅場」で幼い娼妓たちに勉学を教える赤江鐡子はイチが自分自身を持っていることに気がつく。島の訛りをそのまま文字に起こしたような日記代わりのイチの作文からは、身を以って性の残酷さや世の中の理不尽さを知り、自分なりに消化して生き抜こうとする真っ直ぐな少女の感性が見える。このタフで健康なヒロインには、ありきたりな遊郭の悲劇も、退廃も似合わない。イチが生きるのは華やかで爛れた世界だが、彼女が芯から汚れることはない。読者はそんなイチのしっかりとした視点を通して、遊郭の女たちの暮らしや不思議な風習、そして彼女たちの悲しみを知る。

イチを見つめる二人の女たちは、それぞれ違ったタイプの知性の持ち主だ。「女紅場」の教員であり、イチに「お師匠さん」と慕われる赤江鐡子は侍の娘であり、遊郭に売られた後もプライドを保ち続けていた。教養と愛嬌のなさが邪魔して年季が明けるのが遅かった彼女は、少女たちに必要な書類の読み方を教え、少しでも彼女たちの身を助ける知識を与えようとする。彼女が福沢諭吉の『新女大学』に感動し、やがて諭吉の理論が貧しい女たちをないがしろにするものだと気がついて失望していく様は、変わりゆく時代にあってもまだ踏みにじられる当時の女たちの実情と心理を語るようで面白い。もう一方の東雲はしなやかに、したたかに生きる、いかにも花魁らしい花魁だ。彼女はイチにそれとなく、遊郭のルールに則って生きながらも、自分の心をからっぽにして魂を守る方法を教えているように見える。イチを介して鐡子と東雲の視線が交わされる時、男が支配する世界で女たちが自分の内に培っていた何かが形を持とうとする。

東雲とイチを含む娼妓たちがストライキを起こすという展開は、明治後期の流行歌東雲節を基にしたものである。「自由廃業で廓は出たが/それからなんとしょ/行き場ないので屑拾い」と歌われる東雲節の由来については諸説あるが、明治三十三年の熊本の遊郭「東雲楼」における娼妓たちのストライキ事件を歌ったものだという説もある。

『ゆうじょこう』の中では、造船所の男たちが「ストライキ」というものをして賃金を上げてもらったと知った娼妓たちが、自分たちの待遇改善を求めて同じ手段を使おうとする。

物語のモデルになった事件が明治三十三年、西暦一九〇〇年だという事実が興味深い。その前年一八九九年、アメリカのニューヨークでは新聞を配達する少年たちが、新聞の卸値を上げたジョセフ・ピュリッツアーが持つ「ワールド」やウィリアム・ランドルフ・ハーストが社長を務めるハースト社の「ジャーナル」の配達を拒否するというストライキを行っている。十代の新聞少年たちのストライキは二週間続き、ピュリッツアーやハーストのような当時のメディア・タイクーンに大打撃を与えて、成功した。このエピソードは有名で、一九九二年には後に『バットマン』シリーズの映画で一気に知名度を上げたクリスチャン・ベールを主演にミュージカル映画にもなっている。

新聞を売るのは孤児か、親が失業して学校に通えなくなった十代の少年たちである。両親が食い詰めて、遊郭に売られた少女たちと立場は似ている。映画では、くじけそうになる少年たちに、新聞記者がニューヨークで働いている子供たち全員にストライキをするように促す。「この街の繁栄は、子供たちの低賃金労働によって成り立っている」。好景気の雰囲気が残る公開当時、この映画『ニュージーズ』はまったくヒットしなかったが、映画を基にしたミュージカルの舞台の方は、昨年三月にブローウェイーで幕を上げた途端、大ヒットを記録した。キュパイ・ウォール・ストリートを経て、ストライキ少年たちの物語は人々の胸に響くものになったのである。

娼妓たちのストライキはどうだろう。東雲節に歌われた内容と違い、彼女たちの抗議運動と自由廃業の様子はポジティブに描かれている。生活は楽ではないかもしれないが、イチの未来は消して暗くなさそうだ。ノスタルジックな哀愁に満ちた過去の物語として片付けられない、この物語の女性たちのヴィヴィッドな躍動感は不況時代の今の女性たちの閉塞感を晴らすかもしれない。

(新潮社刊・税込定価一八九〇円)

 

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