20130602北日本新聞より

ゆうじょこう     村田喜代子著

 

成長し続ける少女の姿

 

明治後期の遊郭の話なのに、読んでいて心地よい潮風が吹いてくるような気持ちになるのは、主人公の少女、青井イチの魅力によるのだろう。

イチは薩摩硫黄島の貧しい家に生まれた。父は漁師、母は海女である。15歳になって、熊本の遊郭に売られた。娼妓見習いとして、遊女のための学校「女紅場」へ通って作文や習字などを習う。

さまざまな土地から連れてこられた娘たちの方言を隠すため、遊郭では「ありんすことば」と呼ばれる独特の言葉が使われた。けれども、イチの作文は一貫して島言葉で書かれる。「おかっさあや おとっさあ(お母さんやお父さん)」「ごっそが どっさい(ごちそうがどっさり)」など、促音の多い言葉にはうそがなく、思いが真っ直ぐに伝わってくる。まるで詩のような響きと力だ。

イチの心には、どこまでも青く広がる海がある。ほっかりと浮く島のような雲や、悠然と泳ぐ巨大な亀、海女たちの引き締まった裸身がある。その明るく伸びやかな光景と、苦界で起こる痛ましい出来事との対照が、何とも切ない。女紅場のお師匠さんも、囲われている女たちも、自分ではどうしようもない境涯を生きるしかないのだ。

そんな中、廃娼運動やストライキといった新しい時代のうねりが、イチの足元にもひたひたと押し寄せてくる。時代の変化と彼女の心の成長が重なり合うラストは見事である。

イチが買われた「東雲楼」は、実際に熊本にあった遊郭の店で、2009年夏まで建物の一部が残っていた。著者は、それが取り壊される際、見に行ったという。東雲楼で起こった娼妓のストライキも史実である。

社会構造はもとより、女性の身体感覚や性意識さえ、イチの時代とは随分変化した。著者が最も書きたかったのは、いつの時代も変わらぬ、少女の曇りのないまなざしと成長し続ける姿だったのもしれない。

(松村由利子・歌人)

≪新潮社・1890円≫

 

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