20120930朝日新聞より

 

読書

光線   村田喜代子〈著〉

 胸に迫る夫婦の普通の生活

「東日本大震災」当日、あなたはどこで何をなさっておられただろうか。

『光線』の妻は、ガン(本書の表記に従う。実は評者も漢字が怖い)の疑いで入院している。大震災の翌々日、検査手術をする。前日、福島原発一号機が爆発している。検査の結果は、案じていた通りだった。妻は切らずに、定位放射線治療を選ぶ。ガン細胞にピンポイントでX線を照射して、ガンを消す。最新療法だ。

そのセンターのある南九州K市に夫婦はウイークリーマンションを借りる。二人は毎日センターに通う。妻の治療が始まる合図に、けたたましいブザーが鳴る。付き添いの夫は技師たちと急いで部屋を出る。ぶ厚い電動扉が閉まる。妻だけがベッドに残される。

どんな気持ちになる?と夫が聞く。身がすくむわ、と妻が答える。でも気にしないで、と続ける。私はガンになったんだもの、あなたはそうじゃないんだから。

妻は浴びる人で、夫は見ている者である。テレビは震災と津波と原発の映像を絶えず流している。放射能と放射線。どこが違うのだろう。警報のブザーを毎日耳にしつつ、たった一人だけの部屋で照射を受ける。

「あとがき」で著者の実体験をもとに描いた、と知った。手術前に書かれた四篇と、術後に創作された四篇を並べた、形式は連作小説集だが、並べ方が絶妙で、異色の長編小説と読める。当たり前の日常生活が、いかに貴重であるか。朝、通院する妻が、道に捨てられてある生ゴミの袋を目撃する。カラスに破られる、と妻は眉をひそめる。

なんでもない描写だが、ここに普通の生活がある、と強く胸に迫る。「ばあば神」と題された一篇は、あの地震を東京で体験した若い母親の物語である。全篇、読点なしの文章でつづられている。読んでいて、今にも文章が崩れそうで、不安定この上ない。地震は、怖いと改めて思う。

評・出久根 達郎

作家

文藝春秋・1575円/むらた・きよこ 45年生まれ。作家。著書『人が見たら蛙に化(な)れ』『雲南の妻』など。

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