20120907「群像」201210月号より

 

震災の前、震災の後  書評「光線」村田喜代子

           岩阪恵子

 

村田喜代子の連作小説集『光線』には、二〇一一年三月の東日本大震災以前に書かれた四編と、以降に書かれた四編が収録されている。大地震は大津波のほか福島第一原子力発電所の重大な事故を引き起こしたが、それとほぼ時期を同じくして、著者においてはガンの疑い、そしてそれとの闘いがはじまったのであった。「あとがき」にも触れられているが、村田氏は従来の外科手術、抗ガン剤という方法ではなくていい放射線治療を選び、一ヶ月余にわたる四次元ピンポイントによる患部への放射線の照射を受けた。結果、ガンは消滅。五ヶ月間中断していた連載が再開された。「ガンが消えた後の私が書くべきものは、原発と放射線治療という奇妙な取り合わせしかなかった」と著者は記している。

福島第一原発は事故のあと依然として高い放射線量のためにいまだ内部の調査ができない危険な状態であり、再び大地震に見舞われれば広範囲にわたって甚大な被害が出るのは明らかだ。廃炉の問題、核燃料の最終処分の問題も含め、原発にかんしていささかも楽観はできない。わたしたちは高い確率で起きるだろうと予測されている大地震、大津波、さらなる原発の事故に怯えつつ、一見なにごともないように飲み食いし、働き、眠り、笑い、泣いている。いつか起きるだろう災害は、いつかがいつであるかわからぬゆえにはかない期待をこめて意識のなかで遠ざけられている。同じように病気というものは知らぬまに内部から謀叛を起こし、その当人を裏切ってしまうものだ。村田氏は突然のガンの診断に足を掬われながら、最新の放射線治療によってひとまず病気を克服した。恢復の恩恵をもたらしたものはほかならぬ放射線であり、いま人人を恐怖に駆りたてているものも原発からの放射線ないし放射性物質である。そのことに著者はこだわらざるをえないのだ。

子宮体ガンと診断された妻の治療中の生活とその後の経過が書かれた「光線」と「原子海岸」は、いずれも夫という他者でありながら肉の繋がりのある異性を語り手とすることによって、病者の側に偏って湿りがちになる展開を風通しのよいものとし、それでいて夫婦の愛情の深さが十分感じられるように書かれている。この夫婦像は「海のサイレン」「夕暮れの菜の花の真ん中」にも見られるもので、わたしはそのあたたかく節度なる描写を好感をもって読んだ。

放射線による医療は一八九五年にレントゲンがX線を、3年後にキューリー夫妻がラジウムを発見してから飛躍的に発展したらしい。一方で歴史的に見てもまた奈緒現在においても、放射線に幼少外の問題は大きく深刻なものである。しかし現在では三次元照射よりも進んだ、四次元ピンポイントでガン細胞だけにX線を照射し、傷害をできるだけ減らそうとするところまできている。

「太陽は天然の巨大な原子炉である」

と、夫が空を見上げながら思う場面が「原子海岸」のなかにある。福島を初め日本各地にある原発は、発電用に人が造った原子炉であった。

「地上の自然界の放射線量は穏やかな数値である。太陽の原子炉から放出される紫外線など地球のオゾン層で防御される。しかし人間の手で造った放射能は体を貫いてDNAを傷つける。ガン細胞を生む」

矛盾するようだが、そのガン細胞を同じく人間の手で造った医療用の放射線で消滅させようというわけだ。そのなんともいえない割り切れなさが「光線」と「原子海岸」という二つの作品を村田氏に書かせたのだといえようか。これらの作品に際立って見られるように、村田氏は自らの体験をとおし、身近なところから疑問を発してビッグバンから地球の成り立ちにまで思念をふくらませようとする。つづられる言葉はあくまで現実から浮きあがらず、体温さえ感じさせる柔軟さで作家の心根というものを読むものにしっかりと伝えている。

震災の前、すなわちガンと診断される前に書かれた「夕暮れの菜の花の真ん中」は、タイトルを見たときからわたしにはもっとも印象が深かった。

九州の山の中にある夫の実家で従兄の三十三回忌の法事があり、夫婦で出席する。やがて法事の酒の席から抜け出し、二人は日暮れ前の高原を歩く。少年のころの夫の山暮らしがぽつりぽつりと語られる。たとえば温泉の多い土地なので山の道端にはところどころ炭酸泉が湧き出ているという。

「そうだ。ラムネ水を飲みに行こう。この先に湧いてるんだ。あれは酒の後にいい。胃のもたれにも効くよ」

と言って、夫が湧き水をすくって飲む。

「ああ、不味い。不味い」

と言いつつごくごく飲むので、妻も真似て飲む。口の中に炭酸がはじけ体中がさっぱりするではないか。次の菜の花畑の光景もすばらしいが、わたしは、不味い、不味いと道端の炭酸泉に喉をうるおしているこの二人が好きだ。

そしてタイトルどおりの「いい景色」を見に行く。蕪村の句にあるそのままの東に昇る月、西に沈む太陽、その下にひろがる一面の菜の花畑。幾度眺めても恍惚とした思いにとらわれずにいられないだろう景色。夫が胸のうちになにを考え、妻がなにを思っていたとしても、そのとき夫婦の安らかで美しい時間が流れていたことはたしかだ。

そのほか人間の意志や行為のとうてい及ばないもののひとつである蜃気楼を魚津まで夫婦で見に行く話が書かれた「海のサイレン」。水没鍾乳洞の潜水の怖ろしさに触れ、地上こそは楽園だという結論を導き出した「楽園」など。

小説集『光線』によって提示されているのは、「人生は辛抱強く生きてみなければわからない」と登場人物のひとりに呟かせているとおり、まず生きること。この地球を拠りどころにするしかない人間にたいし、希望を失うまいとする村田氏の決意だろう。

(文藝春秋刊・税込定価一五七五円)

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