文藝春秋「本の話」20128月号より

 

新刊を読む

市民のための福音書

『光線』 (村田喜代子 著)

池内 紀|ドイツ文学者・エッセイスト

 

原発、地殻変動、ガン、食の不安、老い。いずれもとびきり現代的な問題であって、誰もがひそかに感じている。昨日と変わらぬ日常を念じながら、突然ガラリと破局が訪れかねないことを知っている。意識するとしないとにかかわらず、現代に生きているかぎり、何が起きても不思議はない。人にできることは、さしあたり忘れていること。あるいは忘れたふりをしていること。『光線』は8つの短編を収めている。200ページあまりを8で割るとどうなるか。1編が20ページとちょっと。そのなかに現代的な問題が、そっくり封じこめてある。ガン・原発・地殻変動……。どうしてそんなことができるのか?

むろん、村田喜代子が並外れて優れた作家であるからだが、それだけではない。このたびは1つの「好運」があずかっていた。あとがきに明示してある。はじめは「地の霊力」といったぼんやりとしたテーマでとりかかった。2つ書いたところで、2011311日、東日本の大地が大きく揺れて、海がやにわにもち上がった。入念につくられていたはずの原子力発電所が白煙を吹いてはじけた。その数日後、ガンの疑いが現われた。

 

類のない帰還報告

 

とんでもない不運ではないか。連載は中止。手術・摘出・抗ガン剤投与。そのはずだったが、「放射線による四次元ピンポイント治療」なるものを教えられ、治療センターのある鹿児島へ行った。桜島が猛然と噴火して灰を降らせているさなかのこと。放射線照射は1ヶ月あまりつづいた。「ガンが消えた後の私が書くべきものは、原発と放射線治療という奇妙な取り合わせしかなかった」。そこから4編ができた。?どうして好運なのか? 「自分の妻が乳ガンや子宮ガンに罹ったら、男はどういう気持ちになるだろうかと秋山は思う」

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