図書新聞 2011.12.17

幽明の往還を描いてもどこか明るい温もりに満ちる村田作品

その変わらないスタンスはただ見事というほかない

皆川 燈

 

この十年間に書かれたエッセイを収録した待望の一冊である。

著者はあとがきで「エッセイは自分の私生活に起こったことを題材に書くわけで、作者の性根が手に取るようにあぶり出されたりはしない」と記しているが、著者の思いとは別に、読者はどの文章を読んでも著者の創造の淵源へと誘われていき、作者の性根、その根っこを味わうことができる。

 芥川賞受賞作の『鍋の中』をはじめ、『白い山』、『望潮』、『蕨野行』、『龍秘御天歌』など、著者の主だった作品には、魂をリレーしていくようなこの世とあの世をつなぐ老婆が登場する。著者はこの老婆と一心同体のように物語をすすめていくのだが、第一章「子どもの頃、そして祖母のこと」に収められたエッセイを読むと、母に代わって著者を育ててくれた祖母の存在なくしてはあの老婆たちは生み出されなかっただろうと知らされる。祖母が著者に、この世の根っこにある「妣の国」の存在を教えてくれたのである。

 祖母を呼び水に、一千歳のイチイガシや白亜紀のティラノサウルスの骨、外出するときは「置いていくな」と涙をためる犬から、おもちゃ箱をひっくり返したような王塚古墳まで、老いも若きも動物も植物も幽霊もみんながこの一冊に呼び出されてワイワイ言っている。村田喜代子の心に映じた「この世ランド」の眺めはかくも温かく懐かしい。

 さらに、独特のアングルの写真が各章の扉や文中に収められて、窓のように「この世ランド」を垣間見させてくれる。装丁とともに写真も「本文・カバー 毛利一枝」とあるのだが、タコのぶらさがった浜辺、犬のユーリィ、遊園地の馬、馬小屋で馬の後ろから外を撮ったとしか思えないような村田喜代子のまなざしを感じる。村田喜代子にしか発見できない入り口が「この世ランド」のそこここに開いているのだ。

 文芸評論家の大河内昭爾氏との対談「同人雑誌の志《村田喜代子の世界》」では、『蕨野行』誕生のいきさつが明かされていて興味深かった。

 この小説のヒントは当時「文學界」の編集長だった湯川豊彦氏に「あなたにぴったりの題材があるよ」と言われて「遠野物語」の一筋を聞いたことが発端だったのだそうだ。

 「わたし、今から自分が書くものとか、書きたいものについて、良く喋るのです。ここから先どうしても分からないなあと思うとき、友達や編集者とずうっと話すのですよ。(略)そんな中で思いがけなくヒントが生まれる。自分だけの中でやるのじゃなくて、開いて書いていく」。

 こうした編集者や友達とのやりとりが新たな出会いの連鎖をつくり、絶妙なタイミングで次々に作品が生み出されていくのである。「開いて書いていく」ところに、村田作品が幽明の往還を描いてもどこか明るい温もりに満ちている理由があるのかもしれない。

 俳句を愛する人だと知ったのは、『望潮』というおばあさんたちの当たり屋集団の小説を読んだときだった。「望潮」は「しおまねき」と読む。本書にも横山房子の俳句をめぐる文章が収められている。横山房子の俳句、「寒雷やひじきをまぜる鍋の中」を引いて、こんなふうに書いている。

「ちょうど私は『鍋の中』という小説で芥川賞をとった直後で、まっ黒いひじきが菜箸でかき混ぜられてぎらぎら照っている光景が、この句によって浮かんできた。自分の小説を五、七、五の十七字で書いてしまわれたような気がした。私の『鍋の中』は原稿用紙百八十枚だった」。

俳句もまた「この世ランド」を垣間見させる窓なのだ。著者に開いてみたいとまで思わせる俳句という窓は、そんなに多くはないかもしれない・・・。

著者は周知のように、一人でタイプ印刷による個人文芸誌「発表」を創刊し、その後も文壇によらず九州の中間市で小説を書き続けてきた。その変わらないスタンスはただただ見事というほかはない。

扉裏にある著者の写真に思わずくすっと笑ってしまった。著者が愛犬と写っているのだが、そのまなざしがお互いにそっくりなのだ。二人はともにいつかは「この世ランド」を去っていく生き物どうしの盟友として、一つ屋根の下で同じ空気を吸い同じ水を飲んでいる。似て当然なのだ。

ときに二段組をはさみ、ところどころに不思議な写真をまじえた本書の構成もまた、「この世ランド」の起伏を伝えて心憎い。

(「らん」同人)

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