20110619産経新聞より

【書評】

『この世ランドの眺め』村田喜代子著

 ■明るい無常観が潜んでいる

 

 村田喜代子ワールドは確かに在る。在るどころか確固とした存在だ。けれどどの入り口から入れば良いのか迷う。どの入り口から入っても全部を見渡すことが出来ない。呑(の)み込まれて溶かされてしまうのがオチだ。ならばせいぜい、面白がるとしよう。

 

 しかし面白がるにも作者の視線を追わなくてはならない。視線を追えばいつの間にか現実世界から遊離して、あの世とこの世のあわいあたりをスルスルと飛行してしまう。それがあまりに心地良いので、なぜ心地良いのかを考えるのも忘れて、一緒に飛行を続けてしまうのだ。

 

 だから面白がるのも考えものである。生と死、この画然とした境界を忘れてしまって良いものか。

 

 などと力んでみてもはや遅しで、心地良い方向に人は身を委ねるもの。やがて白濁した空気となって、流れて行けば良いではないか、生きているとはそのように昨日から今日へ、さらに明日へと、滞りなく続いて行くものなのだと、思考停止状態に陥ってしまう、それが村田ワールドだ。

 

 本書はこの10年間に書かれたエッセイをジャンルに分けて、毛利一枝さんの写真と共に収録したもの。家族や生い立ちについて書かれたエッセイ、自分の作品についての言及や対談、旅を写真とともに綴った思い出の記、本や作家について、さらには絵画を巡る感慨など、ジャンルも多岐に渡っているが、本のタイトルにもなっている「この世ランドの眺め」はとりわけ作者の本質を明らかにしている。

 

 …子供の頃から、妙な場所が好きだった…ゆっくりと腰を落ち着けて座っていられないような場所に惹かれる…その一つが斜面だ…斜めに傾いているので、立つことも座ることもできず、ずるずると滑り落ちていくしかない…

 

 というわけで、富士山の長い稜線や筑豊のボタ山、さらには児童公園の滑り台など不安定な場所が作者の好みとして出てくるのだが、この感覚の底には、明るい無常観が潜んでいる。無常観という入り口から入れば、村田ワールドも少しは解明できるかも知れない。(弦書房・1890円)

 

 評・高樹のぶ子(作家)

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