文学界20108月号より

きのこ文学の方へ  飯沢耕太郎

第八回きのこのエロティシズム

 

 

村田喜代子「茸類」の夢魔

 

高樹のぶ子だけではなく、どうやら女性作家がきのこをモチーフとして扱う場合、知らず知らずのうちに官能性の領域に踏み込んでしまうことがあるように思える。村田喜代子の短編集『夜のヴィーナス』(新潮社、2000年)におさめられた「茸類」もそんな小説である。

冨吉美枝は田舎に住む従妹の岩田康江の夫仲道から電話をもらう。康江が鎌を踏んで足の指に大怪我をしたというのだ。椎茸栽培農家の岩田の家は、今は春の収穫期でどうしても人手が足らない。美枝に十日ばかり来て手伝ってくれないかという申し出だった。康江が送ってきた椎茸の、それが生えてくる様子を見せたいという添え書きに「椎茸、たくさんありがとう、私もいつか見てみたいです」と返事を書いたことがあった。康江はそれを覚えていたらしい。

迷った末に、JRとバスを乗り継いで「九州の屋根になる母の里」に行くことにした。康江は青白い顔で座椅子に足を投げ出してもたれ、「美枝さんのこと、一生恩にきるから」と感謝する。その日からすぐ椎茸採りの作業を始めた。半開きになった椎茸の傘を、横へ軽くひねるようにして摘み取る。とっても、とっても、きりもなく新しい傘が開いてくる。「大きな傘、小さな傘、太った傘、やせた傘、白い傘、薄茶の傘。傘、傘、傘のいちめんの果てのない傘づくしだ」。

夜になると必ず晩酌になり、癖はないが強い米焼酎をあおるように飲み干す。三日目の夜に本家の食事に呼ばれ、焼酎の酔いが「鎌の刃」のように不意にやってきて、帰りの車の中でしくしく啜り泣いてしまう。それでも家に帰ると悲しみは嘘のように消え失せている。

手伝いにきて七日目の夜、仲道は軽トラックにきのこを山積みにして共同乾燥場に向かい、康江と二人きりで夕食をとることになる。食事の後、焼酎を酌みかわすうちに「また?まれた」という思いがやってくる。酔いにまかせて前から聞きたかった問いをぶつける。康江の怪我は鎌を踏んだのではなく「仲道さんがやったんじゃないの」と口に出してしまったのだ。康江は「こわばって蝋のような顔」だったのを崩して、「私の足の指を切ったのは、確かに仲道よ」と答える。ある夜、仲道と鶏鍋を食べながら焼酎を飲んでいると、心地よさがつのり、「夢魔のような願望」にとらえられたのだ。

 

「この足のね」

と康江はコタツから膝を引き抜くと、仕事着から脱ぎ変えたスカートの裾を上げ、右足を畳の上に滑り出していた。

「この親指をストンと切ってもろうたら、どんな気持ちがするやろと……」

仲道が口をつぐんだ。

「あんたに切ってもろたら、どんな気持ちがするやろと……」

畳の上に康江の生白い足が震えていた。そのとき自分ながら康江はそれが血の通った人間の足ではないように見えた。仲道は焼酎に赤く潤んだ目でそれを見おろしている。夫婦の間のとんでもない呪文のように、康江の足は長いこと二人にじっと見つめられていた。

「親指一本でええわ」

と康江が言うと、仲道はふらっと炬燵から立ち上がった。康江の言葉に操られたように台所へふらふらと歩いて行った。

「あの人が包丁を取りに行った間、あたしはそのままの格好でいたわ。恐ろしいけど、うっとりするような変な気持ちがして、気がつくといつの間にか仲道が戻っていたんじゃら。仲道の顔は白くなって、何だか蝋みたいになっていたわ。あたしの伸ばした右足の親指に、冷たい氷のようなものがヒヤリと触れた。仲道が、こうか? と言った瞬間、その氷の刃が熱い火の刃になって打ち下ろされた……」

鍋の湯気の向こうで康江の唇がゆっくりと閉じられた。

秘密を明かしたその唇はまだ熱を持っているようだった。彼女は疲れたのか、ギブスの足をそっと動かして座り直した。 

 

シイタケ栽培の忙しい仕事をこなしつつ、重労働の後の焼酎を楽しみに「平穏な日々」を過ごしている仲の良い夫婦(子供はいない)の日常に訪れた「怖ろしいけど、うっとりするような」瞬間。それは直接的にエロティシズムを喚起するものではないはずだが、どうしても性的な行為に結びつくように思えてくる。しかも、その魔の時間をもたらしたのは、彼らの生活の中に絶え間なく浸透しているきのこの仕業だったのではないだろうか。仲道が包丁を振りおろす康江の生白い右足の親指は、そのまま杉林の奥の椎茸の群れと重なり合い、溶け合うように感じられるのだ。

 

掌にのるほどの小さなキノコの傘がふつふつふつふつと出ている。一本のホダ木の表からも裏からも、白いマシュマロのような柔らかなふっくりした半開きの傘が、林の薄暗がりにぼんやりした光を集めたようにばらまかれていた。仲道が傘に手を触れぬよう注意しながら裏を覗かせる。傘の裏には生まれたての肌色のぎざぎざがある。軸とぎざぎざの傘の緑には羽毛のような薄い膜が張っている。

 

この椎茸の「傘の裏」の描写の生々しさ、なまめかしさはどうだろう。明らかにここでも女性の体ときのこのイメージが融合し、光を集めて震える官能的な生きものが姿を現そうとしている。きのこはそれ自体がエロティックな生命体であり、他の存在に乗り移ったり、重なり合ったり、合体したりしながらそのエロスの力を伝播していくのではないだろうか。

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