毎日新聞2010年2月23日夕刊より

文芸時評 2月  私のおすすめ

佐藤秀明(近畿大教授・日本近代文学)

 

@村田喜代子『故郷のわが家』
 A橋本治『橋』
 B川西正明『新・日本文壇史T 漱石の死』

いくつかの運や不運はあったが、特別な何かが、これまでの人生にあったわけではない。だから、今の自分はこうして生きている。多くの人はそう思っているだろう。一方、同じように特別な何かがあったわけではないのに、こんなことになってしまったという人もいる。今月は女性たちのそんな生を描いた2作品に心ひかれた。
『故郷のわが家』は前者だ。大分の久住高原で、住み手のいなくなった生家の片づけをする笑子さん。笑子さんの思いは、旅や夢や懐かしい人たちに自在に飛び、芳醇な時間が流れる。「おひとりさま」を実践中、想定中の方へ「おすすめ」です。ゆるゆるでテンポのある文章がいい。ああ、引用したいけど、スペースがない。
『橋』は、後者の人生だ。2人の少女が家庭をもつまでが書かれ、最後にむごたらしい事件が据えられる。2人の接点はない。小さな偶然が必然になることの残酷を描いた小説で、昔はこれを「運命」と呼んでいた。何気ない出来事にドキドキさせられる。
10巻予定の川西文壇史が出た。漱石の死から始まるのが味噌で、この時代は久米正夫、松岡譲、芥川、谷崎、佐藤春雄、白秋の秋分が目白沿い。文学研究は、作者の意図からどれだけ離れるかが醍醐味になっているが、研究者も内緒で(?)買って読むといいよ。

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