雲海の彼方から

       ━村田喜代子『故郷のわが家』━

赤染晶子

 

「望郷の念」という表現は現代では大げなさ言葉だろうか。笑子さんは六十五歳である。恵美子さんは世界がどんなに広くても、望郷の念に駆られるような絶望的な距離など現代には存在しないことをよく知っている。笑子さんは生まれ故郷の家の片づけをする。親はもういない。何人かの肉親も故人になった。子育ても終わった。笑子さんはそんな年になった。年月は無情だ。故郷に戻っても、「親のいた時間の故郷に帰ることはできない」。笑子さんは一つ一つの物を片付けていく。古い蒲団の綿を解く。古くなった物には家族一人一人の匂いや汗がしっかりとしみついている。忘れ去られたへそくりも出てくる。千人針まで出てくる。笑子さんは遠い日をありありと思い出す。幼い頃の兄弟の本箱、恐竜の本、こまごまとした台所の風景、姑とのやりにくい日々。あのお中元のカルピスを子供たちにくれたらな・・・・・・。決して戻れない時間なら、こんな思いを「望郷の念」と呼べるだろう。故郷というのは不思議な場所だ。ここでは笑子さんは旧姓の「柳田」さんだ。「旧姓は着慣れた服のように気持ちいい」。懐かしさの中で、笑子さんは語る。

笑子さんは旧友の訃報も受け取る。電気の技術師だった男だ。仕事一筋に生きた人だ。彼には野望があった。定年前に東京都内に大停電を引き起こすのだ。彼は言う。「いたずらとは違う。もっと真剣な気持ちだ」。この野望を「自己実現」と言う。青春時代の無謀さとはもはや違う。酒の席での冗談でもない。東京の夜はいつまでも明るかった。「私はやるわ」。銀行勤めをする友人は銀行泥棒を決意する。「それで人生、棒に振るのか」。ちゃんと良識のある世代である。捕まることは避けられない。捕まったら、「大勢の前で何かを言いたい」。そのときの台詞を今考えている。若い頃、弁論大会に出場した人である。野望は大きくてどこかささやかである。この年代の人たちの生き様が恵美子さんの優しいまなざしで思い出される。この年代特有の侘しさもある。海外旅行ばかりしている男がいる。笑子さんと同世代だ。定年退職して時間を持て余すので、国内よりも海外をあちこち旅行する。家にいてもやることがない。「世界の流れ者」みたいな男だ。笑子さんの思いつく「故郷喪失」という言葉が切ない。

笑子さんはよく夢を見る年になった。人を思い出す。昔を思い出す。笑子さんは今ではNHKの深夜ラジオを聞くのが習慣だ。相棒は犬のフジ子だ。笑子さんの歩んできた人生の時間は十分に長い。

「もう何もかも終わった後でしょうか。それとも始まる前でしょうか」

笑子さんは久住高原から雄大な景色を見渡す。そこが笑子さんの故郷である。野鳥が飛ぶ。風車は回る。森は青い。山は連なる。景色は雲海に白く包まれている。笑子さんは雲海の下を「下界」と呼ぶ。場所も時間も隔てられて、何もかもが遠い。手が届かない。人はどこかへ「帰る」ことなんかできないのかもしれない。笑子さんは懐かしいものからどんどん引き離されていく世代である。時に笑子さんの語りは時代を超える。週との抑留経験や戦時中の兵士達にまで思いをはせる。長い歳月に、姿も名前もなくしてごろりと転がる旧日本兵の髑髏の望郷の念こそ切実である。人の一生は儚い。故人という存在はあまりに小さい。遺骨収集をしても、現代から加古に手は届かない。それが切ない。そんなことをつくづく思い知るのも、個人の人生の時間を越えた望郷の念という悠久の時間に隔てられて初めて、儚い人の一生は戸尾と鋳物になるのだろうか。もう消して引き返せない時間が、故人という小さなものをかけがえのない存在に帰るのだろうか。老いるにはまだ早い笑子さんの視線は優しく過去を振り返る。笑子さんの語る人も自然も命も何だか愛しい。

(あかぞめ・あきこ 作家)

村田喜代子『故郷のわが家』404103-9 129日発売

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