サンデー毎日 2010年1月17日号より


サンデーらいぶらりぃ:池内 紀・評『偏愛ムラタ美術館』『「西遊記」XYZ』

◆破天荒に“極楽めぐり”

◇『偏愛ムラタ美術館』村田喜代子・著(平凡社/税込1995円)

◇『「西遊記」XYZ』中野美代子・著(講談社選書メチエ/税込1680円)

 展覧会には混むのと混まないのと二種類ある。混むのはテレビやスポンサーの大新聞がはやし立てる展覧会で、春の花見に行くのと同じ、ただ見てきただけ。

 村田喜代子の『偏愛ムラタ美術館』は決して混まない。じっくり見られる。元坑夫・山本作兵衛の炭坑絵図。男は鉢巻にふんどし、女は丈の短い腰巻一つ。半世紀以上も地下の坑内ですごした人が、引退後に絵筆をとった。壮絶な労働現場シリーズに「一点の嘘」もない。

「……作兵衛の炭坑画にはただ一つ事実と違うところがある。それは炭坑の闇である」

 黒々と塗り込めた闇、重圧となり物量となって迫ってくる暗闇、それがきれいに省かれている。真実どおりに描けば、まっ黒けの画面になるしかないからだ。すべて事実と少しも違わない記録でありながら、可視化の約束で描かれた偽絵。だからこそ、その闇の錦絵が「しんしんと胸をつく」のだ。

 十七の展覧会をめぐっていく。どれといわず刺激的で、印象深く、こおどりしたいほどうれしくなる。それというのも作品と、それを見る者との間に生じる緊張にみちた一瞬がきっとあるからだ。作家村田喜代子は身にしみて知っている。芸術は徹底して個の産物であって、個人の、個人による、個人のための営み。だからこそ個人で受けとめて語るしかない。タイトルにある「偏愛」の意味するところにちがいない。

 幕末の絵師河鍋曉斎(きょうさい)が明治初頭に、愛し子を亡くした商人の求めに応じて描いた「地獄極楽めぐり図」。ラスト近くの極楽行きは、当時まだ日本になかった鉄道でもってひた走り。極彩色の汽車が後ろ向きに走っているところがなんともおかしい。「思えば何と破天荒な小娘の旅であったことか」

 これはそのままムラタ美術館一巡にあてはまる。言葉でもって美の変幻をしっかり書きとめ、まるで目の前に見るように緊張させるなんて、なんとスゴイことをする人だろう。

 中野美代子『「西遊記」XYZ』、こちらは破天荒な小説の旅。三蔵法師が孫悟空・猪八戒・沙悟浄をおともに西へ西へと旅をつづけ「通天河(つうてんが)」という大河にぶつかったくだり。

 夜が明けると一面の銀世界、とたんに長々しい詞がはさまる。文庫版で二十頁ちかくもつづき、やたらに知識をひけらかした長広舌で、その間、三蔵一行はおいてきぼり。物語がとまってしまって、世の流布本ではカットされている。中野美代子訳はそっくり訳出した。無用のようでいて、しかし、しばしばそこに、この長大かつヘンテコな小説の「秘密」が隠されているからだ。

 みたところ退屈な詞のウラに、ひっそり張りめぐらされている謎ときがスリリングだ。あとがきにお土産がついていて、そこに「美代子も定年になり、老けて……」などとトボケの一行がはさんである。

 おもえばこの数日、喜代子・美代子のステキなご両人の手引きで極楽の気分だった。

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