ECLA200905

『あなたと共に逝きましょう』オトナの文藝部 斎藤美奈子より

 

 

小説は病が好きだ。家族や恋人が難病で死ぬ話は枚挙に暇がない(『セカチュウ』を思い出すまでもなく)。しかしながら、その多くは病をキッカケにした人間関係ドラマであって、病そのものにピントがあった小説は意外に少ない。医師を主人公にした医療小説は盛況だけど、患者の側に立った闘病記はノンフィクションの独壇場。

いっちゃなんだが、多くの物語にとって病はアクセサリーなんです。例外的に病気ときちんと向き合った小説といえば、萩原宏『明日の記憶』とかがあるけれど、あれは若年性アルツハイマーの話だからちょっと感じが違うし。

村田喜代子『あなたと共に逝きましょう』は、60歳を過ぎて手術が必要な病に犯された夫の日々を妻の目から描いた長編である。

夫の義雄は64歳。福岡で機械の設計事務所を経営している。妻の「私」は62歳。地元の服飾大学で教えている。30歳を過ぎた一人娘は国際結婚をして海外在住。

最初の兆候は声の異変だった。声がかれて、会話ができない。後日、夫に下された診断は弓部大動脈瘤。大動脈の心臓に近い部分に直径6cm、ピンポン玉大の瘤がある。動脈瘤は5cmを超えると危ない。<破裂するのは明日か、一ヵ月後か、半年後か、一年後かはわかりません。しかしかならず早晩、破裂します>

こうしていつ割れてもおかしくない<水の入った風船玉>と化した義雄だが、運転はやめろという医師の忠告さえも無視して強がる始末。<くるま・・・・・・なしで、しごと・・・・・・が・・・・・・できるか。けさ・・・・・・まで・・・・・・なんとも・・・・・・なしで、やって・・・・・・北・・・・・・んだ!>

そして「私」は考える。<今、血圧が上っただろう。/私は彼に逆らわないで車に乗った。激高させてはいけない>。そう、血圧の上昇は破裂への道だ。<いいわ。行きましょう、私たち>

60歳を越えた夫婦といえば悠々自適でもおかしくなんだけれども、ずっと現役。病気の影響で怒りっぽくなり手術を嫌がる夫に付き合って、民間療法のアドバイザーに頼ってみたり、福岡の自宅から遠路はるばる信州の湯治場に出かけてみたり・・・・・・。6cmの動脈瘤を5cm以下に縮めるべく、ふたりは奮闘するのだが。

ひと昔前の老夫婦とは一味違った、団塊夫婦の闘病小説。

動脈瘤が神経を圧迫して声が出にくくなった夫とコミュニケーションをとる手段は、とぎれとぎれの会話と筆談だけ。よけいなことを喋らない(しゃべれない)夫と、人体を包む服飾の専門家である妻の観察眼とがあいまって、読み心地は意外にも爽快だ。

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