あなたと共に逝きましょう [著]村田喜代子

朝日新聞2009年3月29日より

                          [評者]久田恵(ノンフィクション作家)

■生死の境で考える、妻にとって夫とは

 夫婦の関係ほど謎に満ちたものはない。とくに、妻たちの夫に対する気持ちが分かりにくい。

 夫の愚痴と思って延々聞かされていることが、実は自慢だったり、自慢と思って聞いていたことが、夫への不満の隠蔽(いんぺい)だったりもする。

 この親子でもない、元他人の、そしてすでに恋人でもない、夫婦という名の男との特別な関係とはなんなのか。

 とりわけ、三十数年も共に暮らした「夫」というものは、妻にとって、いったいどんな存在なのか、と思う。

 本書は、その謎を明かしてくれる小説とも言える。

 主人公は、「歳取ることに不器用な」カーリーヘアの62歳の妻で、その夫は、「仕事着のスーツとゴルフウエアが洋服ダンスのすべてみたいな」64歳の男だ。

 娘はすでに結婚、外国に在留。夫婦は共稼ぎ中だ。

 そう、夫は夫、妻は妻。そこそこに自立心を持って生きている今時の二人だが、互いの先が長いのか、短いのか、来し方行く末を考えたくなる微妙な年頃にいる。

 そんな夫婦の日常に、予想外の事態が降りかかる。夫の心臓近くに、いつ破裂するやもしれぬ「大動脈瘤(りゅう)」が発見されたのだ。

 ある年齢を過ぎれば、伴侶の病や死は、誰の人生にも等しくやってくる。誰もが乗り越えねばならないことで、いずれは必ず、どちらかがとり残される。

 そう分かっていても、自ら経験するまでは、自分がその過程で、どんな思いを抱き、どんなふうに感情が振れていくのか分からない。

 時に「予想もしないことを思う」自分がいることに驚いたりもする。

 この小説の妻もまたそう。その中身は読んでいただくしかないが、おそらく、妻にとって夫とはなんなのか、という問いの答えは、生死の土壇場にきてはじめて見えてくるものなのかもしれない。

 読み終えた後、夫のいない自分の人生が、お気楽ではあるけれど、なんだか単純すぎて面白みがないように思え、私はちょっと打ちのめされた気分になった。

 

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