テーマで読み解く日本の文学」下現代女性作家の試み(小学館)より

昔話にみる継子いじめ━子殺しの鍋

                 村田喜代子

 

継母と継子の攻防

継母が先妻の子をいじめる話は世界共通にある。虐待される子の大半は女の子だ。年端のいかない幼女と継母では、悲しいかな勝負は決まっている。

だが外国童話では、「白雪姫」(グリム童話の初版では実子だが第2版以降は継子となっている)のように最後は継子に勝たせる話が多い。西洋の凶暴な継母に対抗する継子も相当なもので、「白雪姫」のラストは王子とのハッピーエンドの結婚式で、継母は真っ赤に焼けた鉄の靴を履かされて悶死するのである。やわでない狩猟民族の童話は、ときとして虐待された継子が継母以上の残酷な仕返しをするものだ。

これに較べると、日本の継子いじめの古典落窪物語や住吉物語では、幸せになった継子が積極的に継母へ復讐するような攻撃性はみられない。神仏の加護を得た娘たちはみずからの手を汚さなくても、天の懲罰によって継母は零落の途をたどるのだ。

しかし天の守護から漏れた不運な継子には、どのような運命が待っているのか。民話の世界で継子の末路は容赦がない。この世の中に男がいて女がいれば、やがて子供が生まれる。独占欲の強い後妻にとって、継子は不純物である。

 

「手無し娘」の分布

昔話の継子いじめのストーリィは、語りの性質ゆえにいっそう極端化されて、現世無情の色調が強まる。これには当時の日本仏教が影響しているように思われる。

手無し娘の話は東北地方から九州まで広く分布している。先妻の娘を妬んだ継母が、使用人に山へ連れて行って殺すように命じる。しかし使用人は美しい娘を殺す気になれず、両手を切り落として逃がすという筋である。

山梨県の手無し娘では、両手を失った娘が傷の痛みに呻きながら言うのである。

 

体は動くとも 血はめぐるな

体は動くとも 血はめぐるな

 

すると娘の腕から吹き出る血が止まった。やがて都にのぼった娘は、空腹のために寺の梅の実を食べようとして見つかり、追い払われるのだ。すると娘はまたこう言う。

 

花は咲くとも 実はなるな

花は咲くとも 実はなるな

 

以来その梅の木には実がならなくなったという。娘はさ迷い歩くうち、やがて大店の息子と出会う。手はなくとも娘の美しさと心の優しさに惹かれた息子は、彼女を嫁に迎える。時は過ぎてやがて娘は妊娠し、息子が商用で旅に出た留守に赤ん坊を生む。息子の両親は喜んで、娘の実家と上方にいる息子の両方へ飛脚を立てるが、先に知らせを受け取った継母は、飛脚に酒を飲ませて酔い潰し、「異形の子が生まれたがどうするか」と、息子宛の手紙を書き換える。

偽手紙を受け取った息子は驚くが、「どんな子でも自分の子だから大事に育てるよう」と返事を書いて飛脚に持たせる。ところがこの飛脚が帰りに娘の継母の所へ酒を飲みに寄って泥酔し、その間に継母は息子の書いた手紙を破り捨て、「そんな嫁も子も追い出せ」と書き直す。こうして手無し娘は赤ん坊を背に括り付けられて、婚家を追い出されるのである。

娘は赤ん坊に水を飲ませるために川岸に(ひざまず)くが、背の赤ん坊が水へ滑り落ちそうになる。その一瞬に娘の失ったはずの両手がするりと出て、赤ん坊を受け止める。やがて娘は彼女を探していた息子と再会し、子供と共に婚家に帰り幸福を取り戻す。これで継子の運命はハッピーエンドとなるのだが、その後には気味の悪い結末が継母に待っている。その頃、継母はどこからか不思議な歌を聞くのである。

 

体は動くとも 血はめぐるな

体は動くとも 血はめぐるな

 

とたんに継母の全身をめぐる血が止まって、彼女は倒れて絶命する。

血に呪いをかけるこの暗い歌といい、両手切断や、失った手がまた生えてくる場面といい、昔話とも思えない即物的な怪奇を感じさせる。どす黒い血流が円環を描くような、輪廻思想が強く漂っている。

奇妙なのはこの手無し娘の話が、よく似たストーリィでグリム童話にもドイツや中国の民話にもあることだ。ただグリム童話など、娘に迫害を加えるのは継母ではなくて、悪魔にめじられた父親がその役を果たす。父と娘の関係では手無し娘の印象もよほど違ってくるのである。いずれにしても、この話がヨーロッパから中国を経て日本に伝わり変容したもののように思える。

ただ地獄の深淵を覗くような呪詛の文句、

 

体は動くとも 血はめぐるな

 

という全編の底を流れるバックミュージックのせいで、日本の手無し娘は不気味さで群を抜いているのである。

 

「おりん子こりん子」の無明長夜

ところで西洋にも日本にも、継子いじめには、継母が子供を鍋で煮殺す話が幾つもある。日本では全国各地に何十種も伝わっているが、主となるストーリィは、父親が仕事で長い旅に出るところから始まる。留守中に継母が大鍋に湯を沸かしてその上に萩の木の橋をかけ、子供に無理矢理渡らせて突き落とすのである。ただ、殺される子供は男の子もいれば、女の子もいる。

ここで共通の符号点は、鍋にかける橋がいずれも萩の木であること、旅から帰った父親に子供の死骸を埋めた場所を鳥が鳴いて知らせる、などはどれも非常に似通っている。

父親が旅に出た後、子供は継母の言いつけで萩八束を手折り、目の粗い竹カゴで水汲みをして、ついに大鍋にかけた萩の橋から湯の中に突き落とされる。子供が死んだ後、何も知らぬ父親が戻ってきて娘の姿のないのを不審に思い裏庭へ出ると、見たこともない綺麗な鳥が飛んできて鳴くのである。

 

今日の父は上くだり、継母の言うことにゃ、萩八束手折りで折って、めかごで水汲んで萩の橋渡るど、ウラリ、カランポン

 

父親が驚いて土を掘り起こすと、無惨な子供の亡骸が現われる。怒り狂った父親は滅多打ちに継母を切り殺してしまう。

鍋で煮る子殺しの話はタイトルこそ継子と鳥、京上り、継子の釜うで、おりん子こりん子と様々だが、最後まで全く救いのない点でどれも共通している。まず無抵抗に煮殺される子供に救いがなく、発覚して殺される継母は血濡れの肉片と化し、娘の仇を討った父親も後妻殺しの地獄図に我と我が身を落としてしまうわけで、一切の救いが断たれた無明の世界が現出する。

いったい何の目的でこんな無為の話が作られたのか、私は暗澹となるのである。昔話は警告や戒めのため作られる。しかしここにあるのは戒めというより、命の毀れるまったくの無為、徒労感ばかりである。人間が知恵や理性で克服すべきものは何もなく、継子は継母に、継母は夫に無力に殺されるばかりだ。

その子殺しが回る車輪のように繰り返されるのが、中見利男『グリム童話より怖い日本おとぎ話』に出てくるおりん子こりん子である。もともとこの二人の女の子が鍋で煮られる話はお銀小銀、お月お星など姉妹が主人公の継子譚の系譜である。

ここでは中見版のストーリィを追ってみよう。

おりん子と、こりん子という愛らしい二人の娘がいた。母親は早くに病死して父親は娘たちのために後妻を貰う。後妻はまもなく男の子を生んで二人の継子が憎くなる。ある日、父親は仕事で数日旅に出ることになり、おりん子には手鏡を、こりん子には手箱を土産に買ってくると言い残して家を後にする。

継母は父親がいなくなると、おりん子に大釜に一杯の水汲みを命じ、こりん子には山から薪を取ってくるように言い付ける。そして二人の手伝いで釜がぐらぐら煮え始めると、継母は釜に細い萩の木を二本渡して、まずおりん子にこの上を歩くように命じたのだ。

怯えるおりん子を継母は薪で打ちながら木の上に立たせ突き落とす。煮えたぎる湯の中に落ちたおりん子は、悲鳴を上げてはじかれたように釜の底を蹴りながら真っ赤な顔で飛び上がったが、再び湯の中に沈んでしまう、というようなリアルな表現が中見版には随所に出てくる。おりん子の黒髪がすっぽり抜けて湯の中でぐるぐる回るのだ。

おりん子が沈んでしまうと、継母はこりん子にも釜の木に乗れと命じる。そのときこりん子を守ろうとするかのように、大釜の中から骨も露なおりん子の両手がニュッと出る。それを見た継母はカッとなって、たちまちこりん子の体も湯の中へ突き落とした。

こうして二人の継子を殺した母親が我が子に乳を飲ませていると、近くの寺の住職が立ち寄る。継母は住職に煮豆と称して、おりん子とこりん子のぷっくりふやけた五粒の豆みたいな手の指を食べさせるのである。やがて数日経って父親が約束の土産を携えて帰ってくる。ところが娘たちの姿はなく、庭に出ると春にはまだ早いというのに二羽の鶯が木に止まって細い声でこう鳴いた。

 

父さん恋しや ホーホケチョ

京の手鏡 もういらぬ

 

父さん恋しや ホーホケチョ

京の手箱はもういらぬ

 

父親が鶯の飛んだ付近の土地を掘ると、果たしておりん子とこりん子の変わり果てた亡骸が出てくる。憤怒の父親は包丁を手に継母を惨殺する。ここまでが第一幕である。

さて中見版のおりん子こりん子のとめどない無為生は、継母の子殺しと、父親の妻殺しとが、そのまま次の第二幕へと引き継がれる点にある。その二幕目で悲劇の子となるのは、ほかでもない。今度は継母の遺児である。

男の子は父親の手ですくすくと育ち、やがてこの子のために父親は次の後妻を迎える。そうして彼はある日、土産に笛と太鼓の玩具を買ってきてやると言い残して、また仕事で旅に出て行くのだ。このときすでにこの継母も男の子を生んでいるのだった。

そうして彼女もまた、何ものかに突き動かされるように、大釜に湯をぐらぐら沸かした。父親を恋しがる男の子に、「おとっちゃんが見えるぞ」と釜の上の橋に立たせて突き落とすのである。男の子は悲鳴を上げて湯の中に落ちる一瞬、赤ん坊の頃にこんな悲鳴を聞いたことを思い出すが、それも束の間でぐつぐつ煮られてしまう。

まもなく旅の父親の元に継母から味噌の差し入れが届く。さっそく宿のおかみに頼んで味噌汁を作ってもらい、何も知らず父親が啜ると、口の中に小骨が当たる。(いぶか)しんで息を吹きかけると、かすかな子供の声がする。

 

笛も太鼓もいりません

お江戸のおとっちゃんに会いたいな

 

胸騒ぎを覚えた父親は仕事を放って、急ぎ家に駆け戻る。家には待っているはずの息子の姿はない。父親はついに味噌桶の蓋を開けて、また再び悪夢のような真相を見てしまうのである。父親は包丁を手にして、二度目の妻殺しの凶行に走る。

ここで二幕目が閉じられる。

おりん子こりん子の家は復元力が強い。

最初の凶行と、二回目の惨劇とで、都合五人の血濡れの殺人がありながら、新しい幕が開くと何事もなかったように朝日が家に射して、継母の残した子はすくすく育ち、父親は相変わらず仕事熱心で、子供のためにあらたな後妻を迎えるのである。三度目の妻はほどなく男の子を生む。そうして彼女もしだいに情念の炎に炙られるように、継子への憎しみを募らせていくのである。

この過剰な無為性の重複という点にだけ於いても、中見版のおりん子こりん子は日本の継子殺しの極北に位置する話だろう。私は中見版の原典となるものをいろいろ探したが見つけることができなかった。

 

鍋から未生へ━日本的な子殺しの形

昔話は何から生まれ、どのような経路で各地に広まり、あるいはあらたに根付いたのか。警告でも戒めでもなく、ただ人間世界の無常観と無情感に染め上げられただけの不毛の話。それが今まで生きながらえて伝えられているのは、どういうことであるのか。この不毛が指し示すものに何か価値があるのだろうか。

グリム童話「杜松の木」にも継母に殺されて鍋でシチューに煮られた男の子が、鳥になって村人に惨劇を伝える話がある。『グリム童話全集』(小学館)の訳者高橋健二はこの本の解説で、童話の残酷性への批判について、童話は常識を超えた世界であること、きれいごとに書きかえると伝承をゆがめる、また不道徳な話は人間世界につきもので、それをはぶくとうそになる。昼には夜があるように暗い場面もあるが、子供はそんな闇をしのいで光明をめざしていくだろう、というようなことをのべている。たしかに日本でも子殺しの鍋の話は東北から九州まで広く分布しているが、そんな昔話の闇をくぐり抜けて子供たちは成長してきた。ただここで私がこだわりたいのは、こうした話の伝承の由来である。不毛もよしとしよう、無常もよしとしよう。けれどそのゆがめてはならない伝承の起源は何だろうか。

江戸時代の瓦版に武州小金井村の継子殺しを見つけた。時は幕末の嘉永七年(一八五四)のこと、百姓庄右衛門の後妻でおかんという者が、七歳の継子を虐待し、ついに大鍋で煮殺してしまう。いじめに気づいていた手習いの師匠が届け出て、事件が発覚したとある。鍋による継子殺しはやはり実際に起きていた出来事なのだった。

物語は事実から始まる。

文学という整った形式から外れて、民間伝承の闇の中で異形として語られ続けた継子殺しの救いのない世界・・・・・・。それも日本の文化が孕んでいたものに違いない。

いったい女はなぜ子を鍋で煮るのか。この疑問を前に、私は先日、おりん子こりん子の父親が庭の土を掘り起こす場面を思い描いていると、一瞬、泥まみれの肉色のぐにゃぐにゃした塊が脳裏に浮かんだ。その塊は胎児を包む膜や胎盤など、まさに「胞衣(えな)」に酷似したものである・・・・・・。継子をこの世から未生の闇に押し戻す・・・・・・。女が鍋で子供を煮殺す行為には、子を「胞衣(えな)」に還す願望が根強く潜んでいるのではないだろうか。

グリム童話の男の子はシチューの肉となって食べられてしまうが、そこには肉食の国らしい結末が見え、また仏教のような輪廻思想のない、生の一回性らしい即物的ラストが浮かぶ。これにひきかえ邪魔な継子を未生以前の胞衣(えな)の姿にするところに、私は日本的な子殺しの形を感じるのである。

 

*参考文献

『グリム童話より怖い日本おとぎ話』中見利男 日本文芸社 一九九九年/『日本昔話大成』5巻、11巻 関敬吾 角川書店 一九八一年/「別冊國文學.41・昔話・伝説必携」野村純一編 學燈社 一九九一年/『グリム童話2巻』池田香代子訳 講談社 二〇〇〇年/『完訳グリム童話集2巻』野村?訳 筑摩書房 一九九九年/『グリム童話全集1巻』高橋健二訳 小学館 一九八〇年

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